勤務最終日

201611281343453年勤めた仕事を終えて、フリーランスになった。

やめますと伝えた日から最終日までは、引き継ぎを含めばたばたしているうちにあっという間に過ぎていった。すべてが終わったはずの今でも、後任の方の席で引き継ぎをしている時の、自分の席とは違う景色や、窓の大きな中華料理屋さんで仲のいい人たちと椅子から転げ落ちるほど笑ったお昼の時間など、残像みたいなものが脳裏にいくつも浮かんでくる。

朝早めに出勤するといつもすでに席にいて「おはよう」とかえしてくれる上司、ミーティング後に毎回席の後ろをMacbook片手に通り過ぎていく人の気配、お昼のチャイム、ピンク色のじゅうたん、遠くから聞こえる笑い声、キーボードをタッチする感触、白くて長い、なぜかデザイナー用のデスク、妙に座り心地のよい椅子、毎日午後に飲むマウントレーニア(無糖)、そこにブラインドウから漏れた光が差してくる時間帯、いつも声をかけてくれる人、笑いかけてくれる人、ドアを開けてくれる人、定時に必ず帰る人、遅くまで残っている人、会うたびに「おつかれさま」と言ってくれる人。「おつかれさまでした」といって切り上げても、翌日(数時間後)にはまた「おはようございます」といって顔を合わせるのが当たり前だったのに、その流れに加わることはもうない。

「一緒に働いたことも縁だから」と今後についても声をかけてくれる方たちがいたことも、それに対して心から「お願いします」といえる自分も、うれしかった。心と行動に矛盾がない状態が、こんなにも自由ですがすがしかったことを、いつから忘れていたのだろう。たくさん悩んだけれど、いまは長い夜がようやく明けたような気分。


満月の下で

68年ぶりのおおきな満月はみえなかったけれど、嬉しい報告が続いて、なんだか足取りの軽い帰り道だった。

もうすぐ3年続けた仕事を終える。そこでの人との出会いをきっかけに、わたしは固く覆っていた自分の殻を何枚も破ってきた。時間をかけて、考え方や人との接し方、大事にしたいことをみつめてきた。この後の人生で、きっと何度も今までの日々を振り返るのだろう。
残りあと5日。あともう少し。


焼きたてパンのように

布団を干すために、家で一番大きな窓を開けると、ひんやりとした気持ちいい風が吹いていくのを感じた。
秋の花粉のせいで鼻がつまっているから、鼻のかわりに口で、おもいきり空気を吸い込む。秋の、日曜の、午前中の、わたしにとっていちばんおいしい空気が、喉を通って、おなか、太もも、ひざ、足の指の先まで。行き渡ったら、ゆっくりと吐く。
昨日は落ち込んでいたけれど、目が覚めたらもう気持ちが回復しているのがわかった。落ち込むことがあってもどこかすがすがしいのは、自分が選び望んだことだからなのか。行動と心に矛盾がない状態がこんなにもすがすがしいことを、わたしはいつから忘れていたのかな。
しぼんだ2枚の布団を陽に当てたら、午後には焼きたてパンのようにふかふかになっていた。


日常の音

「あと何日だっけ」「あっという間だね」と声をかけられる日々。
遠くまでひろがるフロア、じゅうたんの色、キャビネットの大きさ、遠くからきこえるグリーティングカードの音声、周囲のひとの笑い声、外線・内線の電話の音。身体になじみ、しみついた日常の景色や音のひとつひとつが、少しずつ薄れていくことを想像してみるけれど、まだ実感がわかない。


立冬

20161107
ぴんと張りつめた朝の空気が、冷たくて気持ちいい。秋が好き。冬が好き。わたしはどんどん元気になる。
仕事を辞めることがいよいよ公になったので、お世話になった元上司にもやっと報告する。その人から学んだことは、迷ったときの判断の下し方、人へ頼むときの言葉の選び方、どんなときも笑っている余裕とつよさ、やさしさ、調子のよさ、正義感、そのすべての表し方。
その人からもらった返信を、わたしはこれから何度読み返すだろう。