16時のドトール

頭の中の整理がつかず、家にいるとそのごちゃごちゃしたものをただ感じていることしかできなかったので、外に出た。ドトールは、中途半端な時間のせいかわりと空いていた。

人の中にまぎれて座ってコーヒーを飲んでいると、すーっと気持ちが静かになるのを感じる。人がいることを感じられることも、視界に入る人たちがそれぞれの時間を過ごしていることも、人の話し声とよくわからないジャズっぽい音楽がまじりあった雑音も心地よかった。

今年使っていたほぼ日手帳を読み返していたら、苦手な人とのことで悩んでいる時期と風邪をひいたり胃腸炎になったりしている時期が重なっていておもしろかった。夏頃に年上の友だちができた。秋にはいよいよ自分の気持ちに正直に動き出し、仕事をやめ、12月には完全にフリーになっている。時間をかけて膨れ上がっていったものが、最後の最後で弾けてリセットされたような1年だった。

お店を出る頃、頭は少しスッキリしたけれど、肝心のことは何も進まないまま1日が終わってしまった。


春と雑炊

23日、クリーニング店でセーター2枚を受け取る。前日から、春のようなあたたかさが続いていて、ニット帽をかぶってきたことを後悔する。

夫の体調が万全ではないので雑炊をつくってゆっくり食べる。最近は自分が体調を崩すことがなかったので忘れていたけれど、具合が悪い時は、いつもは意識することもないほど自然にできた「食べる」ことが急に重々しく億劫に感じていた。口に運び、咀嚼し、飲み込む、にそれぞれ分解して、ひとつひとつに時間をかけてなんとかクリアしていく。カーテンをあければ太陽の光や日常の些細な音まで暴力的に感じて、誰に対してかよくわからない懺悔をしながら溶けるようにして暗い部屋のなかで布団にもぐっていた。さいわい夫はそこまで悪化せず、しっかり寝たらすっかりよくなったけれど、体のバランスが保たれていることはいつだって奇跡的なことなんだと思う。

ちょうどいま読みはじめた「イルカ」(よしもとばなな)の冒頭が、主人公がインフルエンザにかかる場面だったので、それも重なって体調が悪い時の感覚を自分も体の記憶から取り出して味わいながら食べた。


苦手な場所

役所のようなところが苦手だ。
行くと、自分がものになったような気持ちになって体がひんやりしてくる。必要な書類を得るために何枚もの紙に住所と名前と電話番号を書いていくのはむなしい。悪いことは何もしていないはずだけれど、なぜかジャッジされているような緊張感もあり、どうしても行かなくちゃいけない時は朝からこころの準備をしている。

そろそろ税務署に行かなくてはいけなくて、今日は朝から「税務署に行きますよ」とたびたび自分に確認した。出したい書類もあるし、教えてもらいたいこともあったので、準備をして、憂うつな気持ちで家から二十分ほど歩く。街は年末にむけてざわつきだし、そこかしこで「終わり」にむけての準備がはじまっていた。

窓口で対応してくれたのは、しゅっとした女性だった。すらりとした長身に、まっすぐのきれいな黒髪、銀縁メガネの奥の瞳が涼やかで、こんな人がいつも税務署にいてくれたらどんなにいいだろうと思うような人だった。その人の丁寧な説明のおかげで、もやもやしていたものがすっきりと晴れた。

心につっかえていたものが前進した達成感や、対応してくれた人の雰囲気、やさしさなど、いろいろ嬉しくて、みたらし団子を買って帰った。


全部本当で全部嘘

人と話した後は充実した気持ちになるけれど、後からじわじわと罪悪感が染み出してくることも多い。

自分が誰に何をどこまで話したか、すぐに忘れてしまうので、同じ話を同じ人に何度もしている可能性や、同じ出来事でもその都度微妙に話を変えて伝えている可能性を思うとひやっとする。しかも、その時々の自分に都合よく、無意識のうちに。

自分が変化していけば過去の見え方も変わってくるから、多少は仕方ないのかもしれない。ある意味では、それも自然なことなのかもしれない。けれどそのすべての場面に唯一立ち会っているのが自分なので、全部を知っているので、時々とても苦しくなる。すみません、と誰に向けてかわからない懺悔を心の中で繰り返す。今日はその苦しさを味わい、長くお風呂に浸かっているうちに日が暮れてしまった。


エリーゼがとまらない

11月の終わりに実家に帰ったら、ブルボンの「エリーゼ」があった。
懐かしい懐かしいといいながら、こたつに入って食べた、そのなんともいえない幸せな時間と変わらない美味しさが忘れられず、東京に戻ってきてからもスーパーでエリーゼを見かけるとつい買ってしまう日々が続いている。
チョコクリームとホワイトクリームだと、わたしは断然ホワイトクリーム派だ。さくさくとしたウエハースとホワイトクリームの相性が抜群。ものすごい勢いで食べ尽くしてしまうと反省する一方で、まだまだ胃の中にエリーゼのためのスペースを確保しようとしている自分がいるからおそろしい。