足もと

前の職場でお世話になった方とお昼ご飯を食べた。前から本の貸し借りをよくしていた方で、会社の昼休みに合わせて本を受け取りにいったのだった。
その帰りに、同じ課だった人たちにばったり会った。お昼休みの終わりで、 みんなはフロアに戻るところ。わたしは駅へと向かうところだった。
びっくりしてワッと声をあげて、偶然を喜んだり、手を握ったりして、またゆっくり会おうねといって別れた。ほんの数分の出来事だった。

ああ、びっくりした。うれしい。みんな元気なんだなあ。まだ2ヶ月しか経っていないんだから、当たり前か。頭の中で喋りながら、まだ残っている気配と驚きと興奮を味わっていると、だんだんさびしくなっていった。
自分から離れてきたくせに、もうあそこに居場所はないこと、知らないことが増えていくこと、髪が伸びているなどみんなの小さな変化を思い出すと、きゅっと心臓をつままれたみたいように苦しくなる。
このさびしさは、いつか懐かしさに変わっていくんだろうなあ。まだ「懐かしい」といえるほど月日が経っていなくて、水分がたっぷり含まれた思い出にぐらぐらするけれど。今はそれでいいと思った。

そのまま近くの書店へむかった。まだ読んだことのない本に囲まれていると、気持ちがしんとする。何をするのか、したいのか。自分の足もとを再確認して、帰宅した。


信じる

朝から体調が悪い日だった。
日課のラジオも今日はオフ。加湿器のしゅんしゅんした音だけきいていたかった。
鼻をかんで水分をしっかりとって、いつもの枕に頭をのせて布団をかける。体に感じる重みが心地よい。

布団の中で丸くなりながら、先輩のような友達のような関係のやさしい人にLINEで弱音を送る。メールだったら、考えた末に書き直したり削除したり、そもそも送ることすらやめていたかもしれないけれど、LINEだと気張らずにそのまま送れてしまう。

届いた返信には、体や気持ちのことでその人が信じていることが詰まっていた。「信じてる」なんて言葉ではどこにも書いてないけれど、伝わってくる。やさしくて、つよい言葉。それを読んでいたら、テレビ番組「ご本、出しときますね」(作家が小説を書くことなどについて対談する番組)で、過去に出演した西加奈子が言っていたことを思い出した。(正確な言葉じゃないかもしれないけど)

「作者が本当に信じて書いていれば、読者もそれを信じられる」

たとえ無理があったり強引な設定の小説でも、その人が本当にそれを信じて書いている場合、読者も信じさせてもらえるんだというようなことを言っていた。本当にそうだと思う。その人の返信からも、信じる力のもつ強さみたいなものを感じた。(そしてわたしの体調不良はなんだったのか翌日には回復した)


みんないってしまう

20170111
村上春樹の「雑文集」を読んだ。1ページから順にというより、目次を見て気になるところからぱらぱらと自由に。

「雑文集」という名にふさわしく、いろいろな場所で書いてきたものががばっと集められているんだけど、各賞の受賞コメントは、その時々の受け止め方や温度感のちがいがわかりやすく伝わってきておもしろい。
文章量はおそらく一番短いであろう(安西水丸の娘さんの)結婚式での祝電も心に残った。

解説は、和田誠と安西水丸の対談形式。楽しく読み進めていくと、その後の文庫本のあとがき(単行本発売から5年近くを経ている)では、村上春樹が安西水丸のご冥福をお祈りしていた。そうだった。

対談で楽しそうに作者の魅力を語っていた人が、その次のページでは「帰らぬ人」になっている。時間の感覚と、紙の枚数が合わないような気がして一瞬混乱して、その後さびしくなって本を閉じた。

山本文緒の小説のタイトル「みんないってしまう」が頭に浮かんだ。高校時代に初めて読んだときに、その言葉から伝わってくる、自分では対処のしようのないさびしさに共感したのを覚えている。「みんないってしまう」。
紙の中で楽しく対談している安西水丸もいってしまい、いつかは村上春樹も、親も夫も友だちも、わたしも、「みんないってしまう」。それが救いのように感じる時もあるけれど、今日はさびしい。寄り道をする気分でもなく、まっすぐ家に帰った。


におい

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あかぎれだらけの指をみて、昨日遊びにきた兄が「液体ばんそうこうをつかってみれば」と教えてくれた。
薬を塗ったり、洗いものをする時は必ずゴム手袋をしたりするけれど、傷は減らないどころか増えつつあったので、さっそく買ってきた。

チューブから押し出すと、透明の液体が出てくる。すばやく指に塗ろうとしたところ、同時にひろがった接着剤のようなにおいに懐かしさを感じてハッとした。10年ちかく前、学生時代にアルバイトをしていた京都の書店を思い出した。

バイト中、履いていたスニーカーの底がかかとから剥がれてきていたのを接着剤で無理やりくっつけていたことがあった。すっかり忘れていたけれど、あの場所で過ごした数百日のなかの一日にたしかにそんな時間があった。
事務所に積み上がったファックスの山、監視カメラの映像、冷蔵庫、黒いエプロン、「靴買いなよ」と笑われて、笑って、本を売って、返品して、コーラばかり飲んで。将来への不安や反発心を感じながらも、あの場所に行くだけで楽しかった日々があったこと。

いいことも悪いことも、過ぎたことは積極的に忘れていきたいと思っているところがあるけれど、それとは別に五感をつかって体は記録をつけ続けている。それが呼び起こされた時は、自分の意志とは別に記憶のいいなりになってしまう。


時間

20170108
朝起きたとき、いつもより部屋がひんやりしているような気がした。
昨日から、首の調子がわるい。顔を上にむけると、背骨にかけて稲妻が走るような痛みを感じる。数年前にも、腰に同じような痛みを感じたことがあった。前の前の職場で働いていた頃で、あの時も冬だった。年齢は若いけれど、たぶん今より元気がなかった。

部屋の暖房の設定温度をあげて、ひざかけをして、iPadで絵を描いてあそぶ。これひとつでネットができて本が読めて音楽が聴けて絵もかけるって、本当にすごい。楽しい。今まで時間をかけていたことが、魔法のようにサクサクすすむ。
でも技術の進歩によって短縮された分の時間を、わたしは有意義に使えているんだろうか。