道具

20170107
・外で文章を書くときに量が多いと携帯電話での入力が面倒
(でも家のノートPCは極力持ち歩きたくない)

・絵を描きたいけれど、ペンタブの調子が悪く、手描き→スキャン→Photoshop加工が面倒
(でも気分転換にたまに描く程度なので液タブは不要)

日頃なんとなく感じていたふたつのことが、iPad Pro(Apple Pencil+smart keyboard)で同時に解決するんじゃないかと思ったのは、昨日のことだった。思い立ったら実物をさわって確かめたくなり、夕方渋谷のアップルストアに向かう。

結果、購入した。優柔不断なわたしにとっては珍しく、ほとんど迷わなかった。自分にとっての「ちょうどよいもの」は探せばちゃんとあるんだという発見と達成感で、心の中がすこし明るくなる。

夕暮れの街を早足で駅へ向かっていくと、頭の中に「夜明け」という言葉が浮かんでくる。まるで自分のための道がみえているように、苦手なスクランブル交差点をすいすい抜けられた。


今日は早く寝る

今年初めての仕事の打ち合わせがあった。
仕事を受けるとはどういうことなのか、その覚悟はあるのかを自分自身に突きつけるような1日になった。

わたしの神経が行き届いてピンと張っているのは、文章を書くときのごくごく一部だということをあらためて思う。
そしてそのピンと張っているごく一部(感情や心のゆれを感じること、その解像度を高めて言葉にすること)は、仕事としてはあまり役に立たないかもしれない。
けれど、自分である以上そこはどうしても欠かせないものだと思うので、守り育てていきたいし、もし役に立つと思ってくれる人がいるなら、しっかり向き合って取り組んでみたいと思う。

スマートにできないのはもうわかっているのだから、あとは愚直に向き合うしかない。今日は早く寝よう。


日常

20170103
午後、ひとりで五反田へ行った。
年末年始は家族や大勢の人の中で過ごす時間が増えて楽しいけれど、元日を過ぎたくらいから「短くてもいいからひとりの時間を確保しよう」と心のどこかで思いはじめる。

非日常の楽しさに身をゆだねすぎると、考えることをさぼっているような、ため込んだ宿題を延期にし続けているような息苦しさが少しずつたまっていって、だんだん落ち着かなくなる。
思い立って準備をして家をでると、釣りから帰ってきたところの夫と電車の改札口でばったり会ってちょっとうれしかった。

年が明けて3日目の五反田オスロコーヒーは、時間を短縮して営業していた。
ふと周りを見渡すと、同じようにひとりで本を読んだりぼんやりしている人が多く、店内は満席に近かった。
座って、コーヒーを飲んで、ノートを字で埋めていくと、なんだか正気にもどるような感覚がある。わたしにとっての日常を取り戻したようで安心する。


2017年

年末年始は東京で過ごすことになり、おせちっぽいものを作ったり、掃除をしたり、バタバタしていたらあっという間に年が明けた。あけましておめでとうございます。

今日は、毎年行っている近所の神社まで歩いていってみたら、鳥居からはみ出るほどの長い行列ができていた。夫もわたしも「並んで待つ」のを避けるようにして暮らしているので、明日でもいいかということで引き返す。
空は雲ひとつない晴天で、いつまででも歩いていられそうなほど気持ちがよかった。以前散歩はすきじゃないと言っていた夫も、楽しげだったのでうれしい。歩きながらだと、いつもはしないような話ができる。

去年は、仕事をやめてフリーランスになるという、わたしにとって節目の1年になった。特に、夏の終わりから冬にかけてはいろんな出来事が起こってへとへとだったけれど、友だちや職場の人たちに声をかけてもらった勢いにのって乗り越えてきたようなところがある。12月の1ヶ月は、嵐が過ぎていったあとの余韻と、新しい仕事の新鮮な風と、年末のわけもなく焦る感じを味わいながら過ごしていた。

今年は、どんな1年になるんだろう。今まで以上に大変なこととも、たくさん向き合わなくてはならなくなるかもしれない。「やっぱり間違っていたのでは」と思うこともあるかもしれない。
でもその一方で「もうこれは決めたのだから」と、開き直るように、どこかさっぱりとした自分がいることも知っている。観念した、というのが近いのかもしれない。仕事はもちろん、それ以外でも、とにかく書き続けることが今年の目標のひとつ。同じくらい、本も読んでいきたい。

誰にとっても素晴らしい1年になりますように。今年もどうぞよろしくお願いします。