心をからっぽにする方法

なにも考えたくない時、私はアイロンをかける。

まずスイッチをいれて、温まるまでの間に衣類を集める。ハンガーに吊るした家族のシャツ、ハンカチ、それぞれ数枚。他にもないかと探すけれど、だいたいいつもこんなもの。会社を辞めてから、自分のシャツというものはほとんどなくなった。

スチームがしゅんしゅんしてきたら、台に一枚ずつそれらを広げてアイロンを滑らせていく。アイロンが通ったあとの布が四隅までぴしっと平らなのをみると、心がすっとする。ハンカチの上半分をかけて、まだシワが残っている下半分と比べて、はいこんなにぴしっとなりましたねと思うのも好き。

シャツは、いつも難しい。襟、前身ごろ、後ろ身ごろ、袖、最後にもう一回襟。シワがとれやすいシャツと、とれにくいシャツがある。急いでいる時はつい後回しにするけれど、無心になりたい時に、シワのとれにくいシャツほど相性のよいものはない。きりふきも使って、根気よく向き合う。スチームを増量、噴射して、ゆっくり、少しずつ。

手を動かせば動かすほど、心は無になる。仕事のメールで気になった言葉、冷蔵庫の中身、明日の朝ごはん、人を傷つけた日、嘘をついた夜、Twitterのタイムライン、明日出すゴミ、来週久しぶりに会う人との待ち合わせ場所、遅れているLINEの返信、忘れたことにしたいあれこれ。

頭に詰め込まれたまま、順書なく唐突に浮かんで主張してくるいろんなものごとが、その時ふっと消えていく。朝も昼もいいけれど、夜にやると一段といい(気がする)。


痛みは痛みのまま

昨日の夕方、運行に遅れが出ていますというアナウンスをききながら山手線のホームの端っこに立っていたら、首と肩が同時に痛み出した。

最初の痛みは、朝。ドライヤーで髪を整えている時に、右肩の筋がピキと鳴った。少し気になりつつも時間通りに家を出て、左手に傘をもって駅まで走った。たいしたことではないと思っていたし、人との約束があった。何よりもほうっておけばそのうち治ると思っていた。
けれど、ホームに立っていたら、突然肩から首まで痛みの範囲が広がり、動かなくなった。首を少しでも動かすと鋭い痛みが走るし、呼吸もなんだかしづらい。幸い用事は終わっていたので、そのまま着た電車にそうっと乗り、そうっと帰宅した。

同じようなことが、いま私の日常で起こっている。
自分の中で違和感をおぼえつつ長年放置していたものが、いよいよぱんぱんに膨れあがってきたのだ。
その箱を開けてしまうと、たぶん自分の中のぐちゃぐちゃした部分を虫眼鏡で見つめなくちゃいけないし、大切な人や知らない人にもそれを見せることになる。自分でもみたくないものを人にみせるなんて、想像するとおそろしいし本当にすみませんという気持ちになる。
けれど放置していても、気づかないふりをしていても、痛みはずっと痛みのままでしかなく、勝手に治ってくれたりはしなかった。

そればかりか、昨日のように痛みがどんどん広がって身動きが取れなくなって、しまいには周りの人、それも一番大切な人を巻き込み傷つけていくことがはっきりとわかった。それに気づくまでに10年近くかかってしまったよ。


noteもはじめました

noteで[巣穴にっき]をはじめました。
当時(2013年)無職だった頃に出会った人のことや、それを通じて変わってきたことを少しずつ書いていきます。もう4年も前だなんて、時間があっという間すぎてちょっと信じられない。

スピリチュアルなことにもふれていきます。そういうものが苦手な人はごめんなさい。でも元々は私も、今も部分的にはそうです。

全部が本当の日記ではなく、空想もたくさんまじえて、枠にとらわれず自由に書いていきます。更新は、たぶん週に1回程度。ここの現実の日記は変わらず続けます。よかったらどちらも読んでくださるとうれしいです。


よく食べよく飲む

夕方、近所の居酒屋に行く。
今日は食べ過ぎず、大人の粋な飲み方をしてサクッと帰ってこようなどと話していたけれど、序盤から夫がとばし、私も喜んでついていき、結局いつも通りよく食べよく飲む。
鶏料理がおいしいのと、いつ行っても明るい雰囲気なので、なんだか元気をもらう。

食事のカロリーをアプリでつけ始めた。これをつけているとどれだけ自分が食べているかがわかっておそろしい。けれど、そのおそろしさを感じることこそが自分には必要なのだと思う。居酒屋で食べたものもおそるおそるつけていったら、じゃこおろしやお刺身などさっぱりしたものを多く頼んでいたせいか、想像していた数字より低くて、ちょっとうれしい。


食事の時間

昨日は、年に一度の検査の日だった。
朝から胃腸を空っぽにして、時間になったら病院にいって、全身がぼーっとする注射を打ってもらって、その間に胃腸を調べてもらう。
もう10年以上続けているけれど、何度やっても慣れないし、疲れるし、いいものではない。また1年やらなくていいと思うとホッとするけれど、1年後は案外あっという間にやってくるのでおそろしい。とりあえず無事に終わったのでよしとする。結果は後日。

朝からずっと食事を取らないでいると、時間がとてもゆっくり流れているように感じた。
食事をとるということは、その前から「何を食べよう」と考える時間があり、実際にご飯を作る時間があり、食べる時間があり、食器を洗う時間がいるということ。汚れた食器を洗って、食器棚にしまっても、またすぐ出番がくる。洗濯も同じで、着て、洗って、畳んで、また着る。その繰り返し。

検査が終わった後、開放感で地面からちょっと浮きそうになりながら、久しぶりにひとりで外食をしておなかいっぱい食べて帰宅した。