焼きたてパンのように

布団を干すために、家で一番大きな窓を開けると、ひんやりとした気持ちいい風が吹いていくのを感じた。
秋の花粉のせいで鼻がつまっているから、鼻のかわりに口で、おもいきり空気を吸い込む。秋の、日曜の、午前中の、わたしにとっていちばんおいしい空気が、喉を通って、おなか、太もも、ひざ、足の指の先まで。行き渡ったら、ゆっくりと吐く。
昨日は落ち込んでいたけれど、目が覚めたらもう気持ちが回復しているのがわかった。落ち込むことがあってもどこかすがすがしいのは、自分が選び望んだことだからなのか。行動と心に矛盾がない状態がこんなにもすがすがしいことを、わたしはいつから忘れていたのかな。
しぼんだ2枚の布団を陽に当てたら、午後には焼きたてパンのようにふかふかになっていた。


日常の音

「あと何日だっけ」「あっという間だね」と声をかけられる日々。
遠くまでひろがるフロア、じゅうたんの色、キャビネットの大きさ、遠くからきこえるグリーティングカードの音声、周囲のひとの笑い声、外線・内線の電話の音。身体になじみ、しみついた日常の景色や音のひとつひとつが、少しずつ薄れていくことを想像してみるけれど、まだ実感がわかない。


立冬

20161107
ぴんと張りつめた朝の空気が、冷たくて気持ちいい。秋が好き。冬が好き。わたしはどんどん元気になる。
仕事を辞めることがいよいよ公になったので、お世話になった元上司にもやっと報告する。その人から学んだことは、迷ったときの判断の下し方、人へ頼むときの言葉の選び方、どんなときも笑っている余裕とつよさ、やさしさ、調子のよさ、正義感、そのすべての表し方。
その人からもらった返信を、わたしはこれから何度読み返すだろう。


辞めますと伝えた日

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仕事を辞めますと伝えてから3週間、慌ただしく日々は過ぎていく。伝えた時の上司の顔、会議室の窓から見える景色、日のあたり具合、空の色、他愛のない無駄話、気まづい沈黙。その後「どうだった?」と周りの人に聞かれたこと。席に戻って座ったときの椅子の感触。まだ鮮明に覚えている。
いつまで覚えていられるかわからないけれど、その空気も匂いも感触も、全部忘れずにメモしておきたい。


人生を変える仕事

img_5810美容院に行った。いつものようにマッシュ気味のベリーショート、最後は首をバリカンでしょしょっと刈ってもらう。

この髪型にしたのは去年の12月から。友だちと同じ美容師さんに切ってもらって以来、毎月通っている。
その人はとにかく見立てが早くて、初回は椅子に座ると同時に「もみあげがない方が似合うと思います」とはっきり言われ、はい、とか、はあ、とか言っているうちにサクサクと顔を覆う面積が減っていき、1時間後にはその辺の男子より髪の短い私が、鏡の前に座っていた。
見慣れない姿を鏡で何度も確認していると、美容師さんは確認するように「うん、似合いますね」とはっきりと言い、控えめな笑みとともに送り出してくれた。
そのあとは、家族や友人、会社、病院の先生などよく会う人のほとんどに「似合う」と言われる日々が続いた。そんな経験はいままでになかった。
耳の周りのアトピーの跡、首の色素沈着などは髪で隠すことが自分と世界との約束のようになっていたけれど、それが丸出しになることも徐々に気にならなくなった。私の歴史を物語っているようでときどき清々しさすら感じることもある。ほんとうに根強いコンプレックスだったのに。友だちが「髪だけじゃなくて、人生まで変わっちゃったね」と言った。本当にその通りだった。
さまざまなオーダーから(時に思いもよらない)提案をし、たしかな技術で再現、最後まで真摯で手加減のない姿勢。扱うのは身体の一部分でも、それが人生まで変えてしまうこともある。なんだかすごいことを知ってしまったような気持ちになる。

美容院を出た後は、毎回生まれ変わったような気持ちになる。首がすーすーするのを楽しみながらそのまま渋谷まで歩き、コメダコーヒーで大きすぎるミックスサンドをひとりで食べて帰宅した。