海をみる

大学生の頃、自分自身のことで悩んでどうしようもなくなった時に、ひとりで沖縄の宮古島に行ったことがある。長野出身で山に囲まれて育ったこともあり、自分はどちらかというと山派なのかと思っていたけれど、その時はなんだか無性に広い海がみたくなった。

東平安名崎の灯台にのぼり、ひとりで1時間くらいぼーっとしていると(他に人が誰もいなかった)、涙がぼろぼろこぼれてきたのをおぼえている。

視界をうめる海。わずかにカーブした水平線。どこからか吹くつよめの風。自力ではどうすることもできない大きすぎるものに包まれると、人は泣くのだろうか。誰もこないのをいいことに、気が済むまで泣いた。びしょびしょになった顔をタオルで拭くと妙にすっきりして、その後はあかるい気持ちでソーキそばを食べに行ったような気がする。

先週の3連休は、静岡の熱海・伊東で海をみた。それまでも何度か機会はあったけれど、海をみるのは随分久しぶりのような気がした。

ホテルにいる間は、ほとんどネットやテレビをつけずに、ひたすら窓から海をみてぼーっとしていた。宮古島の灯台ほどじゃないけれど、窓いっぱいに海がみえて、船の行き来や雲の流れ、日が暮れるにつれ変わっていく海の色をみているのは飽きなかった。思考が停止するというか、強制的に停止させられるというか、日頃頭の中に浮かんでくる小さなあれこれがふっと消えていく。

東京にいると、どこを歩いても建物が視界に入ってくる。駅までの道、ホーム、電車の四角い窓、どこにいても住宅や看板やガラスの敷き詰まったビルが目に飛び込んでくる。

余白のない景色のなかにいると、自分の中身の余白も少なくなるのか、常に携帯をチェックしたりして、必要かどうかを確認することもなく情報をどんどん飲み込んでいってしまう。海は、そうやって自分に付着していくあらゆるものを全部流して、正気に戻らせてくれる気がした。

旅行は苦手だったけれど(ということにも最近気がついた)、熱海は東京から電車で1本、1時間ほどで着いて、宮古島と同じように水平線がみられるのだから本当に本当にいい。これから行き詰まることがあったら、またここに来たいと思うような時間を過ごせて、今すごくすっきりとした気持ちでいる。